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凛と柔く。

女(35歳)/会社員/既婚/子なし▶日常を綴るブログ

友人に抱いてしまった劣等感を、やっと手放すことができた。そしてその先は…

ブログ名を変えてから、初の投稿です。 

今回は、ブログ名に違わぬよう、自分の内面の事を書いてみました。

人間が出来ていないことを露呈する恥ずかしい内容ですが、自分が小さくでも変わるきっかけになった出来事です。

 

 

仲良くなったのは、パワフルな女の子

ハタチの頃、とても仲良くなった2歳年下の女の子(以降、Aちゃん)がいた。

当時の私は、親子関係、友人関係、自分の将来(仕事含む)などに思い悩んでいたのだけれど、Aちゃんも同じような事に悩んでいた。頻繁に会って、時間を忘れるほど色々話した。

Aちゃんはまだ大学生で、私は高卒の社会人だった。

 

親しくなって間もなく、Aちゃんはカナダへ長期留学をした。帰国して大学を卒業すると、その後は海外青年協力隊に入り、アフリカの発展途上国の小さな町に派遣された。数年の任期を終えた後、帰国。日本で就職するのかと思いきや、今度は南米の日系企業へ就職。数年の南米暮らしの後、2年程前に帰国して日本で就職をした。

 

すでにmixi、facebookが普及していたので、カナダの留学から南米での暮らしまで、Aちゃんがどこでどんな生活をして、どんな人と接してどんなことを考えているのか、Aちゃんが書いてくれる範囲で知ることが出来た。

Aちゃんの奮闘ぶりや感じていること、元気な様子を知ることができるのは、とても楽しくうれしかった。時にはコメントを書き、たとえ海外にいたとしても、距離を越えて交流は続いていた。

 

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気付かぬうちに抱いた劣等感

Aちゃんの活躍を嬉しく思うその反面、一時帰国するAちゃんに会うことを、ためらう自分がいた。無意識のうちに、コンプレックスを持ってしまったことに気付いた。

 

海外でいくつもの語学を身に着け、様々な国籍・人種の人と仲良くなり、あちこちの国へ旅をする。fecebookの友達は国籍問わず1,000人を超え、英語だけではない言語のコメントが次々と書き込まれる。全てに対してオープンで日々刺激に満ち、国境なんて感じさせない行動範囲の広さ。

全てが私にはあり得ないことで、眩しかった。

 

それに比べ、私はどうだろう。

1つの国の1つの県に留まり、10年以上も小さな企業に居続けている。時には惚れた腫れたで一喜一憂したり、趣味の小さな世界にどっぷり浸ったり。

そんな生活・人生が、とてもつまらないもの、成長のないどうしようもないないものに思えてしまった。

 

自分だって同じだけの時間を過ごし、経験し、考え、成長しているはず。

それなのに、自分の成長なんて微々たるもので、Aちゃんの成長・人生の充実度とは雲泥の差があるように思ってしまった。

 

今思うと劣等感が過ぎるのだけれど、当時は本気でそう思っていた。

 

 

 

劣等感を手放すことができたきっかけ

自分の中で、特に自己嫌悪の対象となっていた性質があった。

 

外に出ていくことを好まないこと。

出たとしても、すぐ疲れてしまうこと。

友人を作るのがとても下手なこと。

 

この嫌悪している自分の性質と対極しているのが、Aちゃんだった。だからこそ余計に、劣等感を持ってしまったのだと、今ならわかる。

 

この劣等感は、ほんの1年程前まで私の中にあった。

普段は意識していないし克服したつもりでいたのだけれど、ふとしたときに、まだ全然克服なんてできていないのだと言わんばかりに、重くのし掛かってきた。

 

こんな劣等感から本当の意味で解放してくれたのが、マチルダさん (id:nemie)の紹介されていた本だった。

 

www.m-forest.net

 

 

常々、自分は社交的なタイプではないと思っていたので、この本に書かれている内向型に属するのではと思い、早速読んでみた。

すると、当てはまる項目が多くとても驚いた。そしてこの本に書かれていた「外向型と内向型のエネルギー源の違い」について理解できた時、ああそうだったのかと、納得してホッとした。

 

 

きっと、私は内向型だ。

(但し、しっかり本を読むと当てはまらない部分もあったので、私は内向型と外向型の中間辺りかもしれない)

  

私とAちゃんは、根本的な思考が似ていたとしても、それを達成したり具現化したりするための、アプローチが違うのではないか。

彼女が外向型なのかはわからない。けれど、行動から予想すると、外向型である可能性が高い。

 

だとしたらもうこれは、持って生まれたあらゆる性質が違うだけ。Aちゃんの様に世界に出ていくことが出来なかったからといって、劣等感を持つ必要など、これっぽっちもなかった。

 

彼女は外に刺激を求め、私は内面に刺激を求めた。その違いがあるだけだ。

 

 

そう納得する事が出来た。

まるで、憑き物が落ちたかのように、心がすっと緩んだのを覚えている。

 

いい歳して何を言っているんだ、と思われるかもしれない。けれど、自分でも薄々分かっていて根拠もなく思い込もうとしていたことが、肯定してもらえた。それだけのことで、とても救われた。

 

この事がきっかけで、自己嫌悪していた性質も、私の大切なアイデンティティなのだと、優しい目で見られるようになった。

 

 

本当の意味をはき違えたくはない

「人は人、自分は自分」「十人十色」など、人と比べることはないのだと、自分は自分であればいいのだと、説いてくれる言葉や本は世間に溢れている。けれど、それを本当の意味で理解して自分に落とし込むことは、とてつもなく難しい。

 

私も口先ではそういった類の事を言ったことがあるし、思う事もあった。しかしそれはまるで、できない自分を擁護する言葉の様な気がしていた。実際、そういう「逃げ」の言葉として利用している人だっていっぱいいると思う。

 

長年抱えてきた劣等感を手放すことができた時、本当の意味で「人と比べない。自分は自分であればいい。」ということが実感できた気がした。「逃げ」でもなく、「負け惜しみ」でもなく、真実を真実としてそのまま認めることができた。

 

しかし、この性質であることを免罪符にして、なりたい自分になろうと努力することをサボるのは、違う。それだけは、はき違えたくないと思う。

 

 

と、ここでいきなりなのだけれど、先日放映されたアニメ「3月のライオン」19話、島田八段のセリフが心に突き刺さったので、引用させて頂く。

自分がどれだけ努力しても、驕ることなく努力し続ける天才との差が全然縮まらない、といったうえでのセリフ。

 

縮まらないからといって、それは俺が進まない理由にはならん。抜けない事が明らかだからって、俺が努力しなくていいって事にはならない。

 

アニメだけど(しかも暗い)、このセリフは本当にドキっとした。

理想に届かないとわかっているという事は決して、自分が頑張らなくていいという事と、イコールではない。

 

私は長年の劣等感をやっと手放すことができたわけだけれど、だからといって、呆けていてはいけないと感じる。あの子とは違うんだから今のままでいいのだと、逃げてはいけない。

同じようにはできないのはわかっている。それなら、違う部分を伸ばさなくては。

 

劣等感は持たなくて良い。自分の本来の性質を認めて、得手不得手を把握しておけばいい。

そしてそれができたら次は、自分の性質をプラスになる方向へ伸ばすことをしたい。向かないことであっても、少しでもそれができるようになる為、自分に合わせた攻略法を見つけたい。そこから何かを得て、自分の成長の糧にしていけばいい。

 

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余談

セリフを引用した「3月のライオン」ですが、漫画原作のNHKアニメです。

原作も面白いし、アニメもよいです。原作者は「はちみつとクローバー」の羽海野チカさん。

我が家では夫婦ともに原作を読み、アニメも観ています。観ていると気が滅入る回もあるほどまでに、人間の内面・本質に踏み込んでくる、鋭い話です。

 

 

こちらは原作のサイト▶ 『3月のライオン』羽海野チカ | 白泉社

 

▼こちらはアニメ

3lion-anime.com