凛と柔く

芯をもってしなやかに、じぶん基準で生きる

「当たり前だったこと」がストレスだった!? 献立を考えることを手放して見えたもの。

現在、夕食宅配サービスのヨシケイを10日間半額お試し中です。
昨日で半分の5日が終了しました。サービスそのもののレビューは10日間終わってからにするとして、今回は5日間試した中で感じたことを綴ってみます。

 


yoshikei-dvlp.co.jp

 

"買い物"と"献立を考えること"を手放しただけで、気持ちが変わる

朝食は作っていないし、共働き(夫も私も正社員)なので昼食も作っていない。ましてや子供もいない。

 

そんなわが家なので、お子さんがいる家庭に比べると、食事を作るハードルは低い。私は弁当を持っていくが、それに対してもそこまで手をかけていないし。

 

また、細かく栄養を考慮しているわけでもない。

自分の中の何となくの知識だけで、脂質・糖質ダブルの取りすぎは避けているし、何らかの野菜は必ず食べるし、積極的に玉子を食べるようにしている程度。

 

しかし夕飯だけとはいえ、週末に買い出しに行き、おぼろげながらも1週間の献立を考えることは、案外面倒なものだと感じていました。

 

お試し1日目にして、その面倒さを手放した時の心の軽さを感じました。


家に帰れば夕飯の食材が用意されていて、献立も決まっている。後は調理するだけ。

それだけのことです。でもたったそれだけで、普段と比べストレスの度合いが全く違いました。帰宅する夫を迎える気持ちには余裕ができ、何よりも献立を考えないというだけで、頭がすごく楽でした。

 

 

上記のツイートは2日目のものですが、昨日に5日経過してもこの感覚は変わりませんでした。このストレスの軽減具合が一番の驚きでした。

 

 

脳みそフル回転、CPUもフル稼働

今までと比較した時の、この頭の軽さからわかったこと。

私にとって「献立を考えること」は、脳内情報処理にとても負担をかけていたんだということ。

 

例えば、散らかった部屋で暮らしていると、思考がまとまらないとか、何だかイライラするというのは、お片付け系の本やブログなどでよく目にする教え(?)です。なぜそうなるのかというと、部屋の中にある様々な「モノ」や「色」に無意識に意識が向いて脳内メモリを使っているからだといいます。


私にとって「献立を考えること」は、それに近いものだったんじゃないかと気づきました。

 

仕事でいくつもの業務を並行して行うためにそこそこ頭を使っているのに、その仕事が終わってからの帰宅時、冷蔵庫の中身を思い出しながら今度は献立を考える。


それは仕事ではないけれど、私が家庭で担う役割として当たり前にやらないといけないことだっただけに、無意識に脳みそフル回転させていたんだなぁって。

 

だからこそ「考えなくていい」ということが、心と思考にこんなにも余裕を与えてくれるのだとわかり、心底驚いたのです。

 

 

もちろん、毎日の食事を考えることが散らかった部屋と同じとは言いません。

ですが、今まで当たり前だと思っていたことを手放したことで、新たに見えたことがあったのは、単純に、作業としての手間が減ったという部分とは別の意味で収穫でした。

 

 

当たり前を疑って、無意識のストレスを失くしたい

今回の収穫で、「当たり前」と思っていた行動を見直してみることは、ストレスのない生活により近づくことができるアプローチのひとつだと感じました。

 

例えば今回の「買い物・献立を立てる」の外注は、古き良き時代からすると、妻としての仕事をサボっていると捉えられるだろうし、人によっては「家事をしていない」と眉をひそめるのかもしれない。

 

それでも、自分の生活を廻しているのは自分なのだから、自分がラクでストレスなく暮らすのが一番大切なことだと思うのです。

 

人にの「当たり前」が、自分の「当たり前」である必要はない。

 

今回、じぶんと自分の家族を基準にした、心地よい暮らしを作ってゆくヒントを手にすることができた、と感じます。

 

 

ちなみに、ヨシケイについては10日間のお試しが終わったらレビューするつもりなので、興味ある方はぜひ読みに来てください^^