映画『怒り』の感想|彼らの『怒り』は何だったのか。
一週間ほど前、仕事後にお一人様映画してきました。
観賞したのは『怒り』。
キャスティングに魅かれたのと、短い予告でありながらも俳優たちの演技に引き込まれてしまったから。特に各々の号泣シーン。
泣くシーンというのは、ドラマであれ映画であれ、本当に心臓を鷲掴みされるのだけどそれがさらに号泣って…。
タイトルからして軽い映画でないことはわかっていて覚悟はしていたけれど、終わってみると体も心も疲弊しきってしまった。
こんな映画は久しぶりだった。
あらすじと人物相関
物語は、ある夏の暑い日、八王子に住む夫婦が殺されるところから始まりました。現場には血で書かれた『怒』の文字。
指名手配を受けた犯人は顔を整形し、逃亡を続け、未だ捕まっていませんでした。
事件から1年後。
千葉で暮らす愛子[宮崎あおい]のもとに田代[松山ケンイチ]が、東京で暮らす優馬[妻夫木聡]のもとに直人[綾野剛]が、そして沖縄で暮らす泉[広瀬すず]のもとに田中[森山未來]が現れます。
みな同様に、素性の知れない人物です。
主人公とその周りの人たちは、次第にその3人を1年前の殺人犯ではないかと疑い始めるのです。
同時進行する3か所の物語。みんな切ない。
【以下、ネタバレ含みますのでご注意ください】
始終飽きさせることのない構成で、物語の冒頭から常に、私の鼓動は1.5倍速。
ずっと心臓はドクドクしていたし、心が落ち着くことのない時間でした。
不気味さ、不穏さ、危うさが混在していて、感情がせわしなく揺さぶられる。
見終わって感じたのは「普通の映画3本分ぐらいの疲労」。
それほどのめりこみ、飲み込まれるような映画でした。
3つの場所で起きる様々な出来事が、1年前の殺人事件とその犯人を彷彿とさせるのです。
そのストーリーも最終的にはヒリヒリと皮膚が焼けこげそうな展開になるのだけど、各々のストーリーを私的に表すなら、
・【東京】優馬×直人=隠したかった真実
・【千葉】愛子+洋平×田代=信じきれなかった真実
・【沖縄】泉+辰哉×田中=隠した真実
といった感じ。
全てのストーリーに「隠し事」があって、それが露呈することでストーリーが一気に加速していきます。
何の疑いも持たず信じていた人だったのに、ほんの小さなささくれが、ほんの僅かなひっかかりが発端となり、あっという間に猜疑心が増幅されていく。
それが顕著だったのは、東京編・優馬。
嫉妬が冷静さを欠き、疑心ばかりが先に立つ。
端から見れば愚かな行動や考えだけど、当事者にとっては頭が破裂しそうな熱量の中、出てくるのは本心と裏腹の言葉ばかり。嫉妬と疑心に支配され、気持ちが、行動が、蝕ばれる。
人間って、愚かだ。
わたしの中で、東京編は「怒り」というよりも「悲しみ」を感じるストーリーでした。
母を亡くした悲しみ、信じきれないまま最愛の人を失くしてしまった悲しみ、そして、疑われてしまった直人の悲しみ。
悲しみが深すぎて、怒りに繋がる。
一方の千葉編・愛子。
なんとなく、初めから田代を信じていなかったのではないかな。
ただ純粋に、一緒にいてくれる人、自分を受け入れてくれる人を求め、田代に想いを寄せるようになったのでは?
一緒にいたいから、田代が話してくれたことを真実と思い込もうとしていただけで、本当に腹の底から信じていたのとは違う気がする。
父・洋平の「こんな娘が幸せになれるわけがない」という思いが、いつしか愛子に伝わり、愛子自身も心のどこかで自分にそんな呪縛をかけてしまったような気がしてならない。
だからこそ「難あり」な田代と一緒にいることを選び、「こういう人ならこんな私と一緒にいてくれるかも」というニュアンスのセリフを言うに至るのではないかな。
なんて悲しいセリフなんだろう。
自分を軽んじ、それが相手までも軽んじることに繋がってしまう。
そんな不安定な「信じる」だったうえに、周りからの疑いが覆いかぶさり、ついには「やっぱりそうなんじゃないか」と、信じるフリをすることすら難しくなる。
だからこそ、思い詰めて通報なんてしてしまったのではないだろうか。
真実がわかったときの号泣は、信じきれなかったことに対する謝罪、そして、そうできなかった自分に対する後悔の涙であるように感じたのだけど、どうなのだろう。
そして上記2つとはちょっと毛色が違うのが、沖縄編・泉。
個人的には、沖縄編のメインは辰哉のような気がするのだけど。
まだ大人になりきれていない年齢の頃、「縛られていない人」に惹かれることが往々にしてあると思う。窮屈に感じる友人関係であったり学校生活であったり、そういうものからすっと手を引いて、違う場所に導いてもらえるような気がするから。
この物語ではそんな「縛られていない人」として田中がでてくる。
泉と辰哉はあっという間に田中に懐き、田中もそれを受け入れる。
そして事件が起こる。
米兵による泉のレイプ。
関連シーンは本当に目を背け耳を塞ぎたくなるし、「女」である私は心から恐怖を感じ、憤りを感じ、絶望を感じた。
映画タイトルでもある「怒り」は、この沖縄編が最も色濃く、はっきりわかりやすい感情として渦巻くことになる。
泉の怒り、辰哉の怒り、田中の怒り。
殺人事件の捜査が進み報道が熱を帯びていくに連れ、田中の様子がおかしくなり、辰哉は真実を知ることになる。
裏切られていたことに怒りを抑えられず、辰哉は田中を刺し、結果としてその傷が田中を死に至らしめる。
3つの「疑い」を呼び起こした事件は終わったのだ。
終わったところで、どのストーリーももう取り返しがつかないのだけれど。
3つのストーリーはどれもハッピーエンドなんかではなく、バッドエンドと言っていいだろう。あるいは、後味の悪い結末、と。
唯一のマシな結果に思われる千葉編だけれど、実際はそうではない気がする。
家に向かう電車の中、田代は一度たりとも愛子を見ないからだ。
そりゃそうだろう。いくら偽名を使っていた自分に落ち度があるとはいえ、「殺人をする人間」だと疑われたのだから。
けれど、まっすぐ前を見据える愛子の強い視線からは、もう二度と疑わないという強い決意を感じたりもした。
どうか、愛子の未来が幸せでありますように。
それにしてもこの映画、面白いのは、直人・田代が疑われだしたあたりから、彼らの心の内が描写されていないことだと思う。
直人も田代も、行方不明になってしまうのだ。顔すら見せやしなかった。
田中に関しては、旅館での配膳シーン内、TVで例の事件報道がされ、犯人の新映像が流された後、派手に暴れ出した。客の荷物を放り投げまくり、挙句の果てに、厨房をめちゃくちゃに破壊。これは、彼の「怒」なんだろう。
唯一、田中の心中だけはこういった形で現されたことになる。
とはいえ、田中がこの物語で沖縄にいる間、何に対して「怒」っていたのかよくわからない。単に私の考察が浅く気づいていないだけなのだろうか。
ところで、要所要所で、殺人犯の写真や映像など差し込まれてくるのだけど、あれはたぶん、3人(綾野剛・松山ケンイチ・森山未來)が交互にやってるじゃないだろうか。
その時々で明らかに体格が違っていたし。でもまあまず、土木作業とか出てきたところで、直人(綾野剛)は犯人から除外だよね。
俳優陣の演技がよかった
【以下、ネタバレ含みますのでご注意ください】
この映画、いかにも邦画的なつくりだと感じました。
派手な演出はなく、基本地味。
人の心の動きでストーリーを作り、観賞者を引きずり込んでいく。そして欠かせないのが、俳優陣の演技力。
観たいと思ったきっかけが予告での演技だったのだけど、全編通して素晴らしいの一言。
優馬と直人の絡み、優馬の母が亡くなってしまった病院でのシーン、優馬が直人の真実を知り泣くシーン。
洋平が愛子を迎えに行くシーン、愛子が泣きながら洋平に懇願するシーン、愛子と洋平が田代の指紋鑑定結果を聞くシーン。
泉が米兵に襲われるシーン、砂浜で辰哉に叫ぶシーン、田中が旅館で暴れるシーン、辰哉と田中が対峙するシーン、そしてその時の田中のエキセントリックさ、泉が海で叫ぶシーン。
どれも、俳優陣の演技がすごかった。
中でも田中の異常さを表現しきった森山未来は本当にすごい。風貌からして既に怪しすぎて、まとった雰囲気も異端だった。舞台「死刑執行中脱獄進行中」を見に行けなかったことが悔やまれる。
そして安定の妻夫木くん。彼の役の幅はすごいなぁ。
常に裸体をテラテラ光らせちゃう辺りの演出は、いかにもなゲイの現し方で安易だなーって思うけど、彼の魅力でカバーできてます。
やはり表情がよくて、すごく好き。ロトのCMとかいいよね!昔から好きな役者さんのひとり。
そして、泣き叫ぶのが悲しすぎた宮崎あおい。
オーバーリアクションだと書かれているレビューを見たけれど、まあ確かに、あの号泣はオーバーといえばオーバーかもしれないけれど、それ以外だってすこいじゃないかと思う。愛子のあの少しネジの外れた空気感、よいです。
そして謙さんですよ。
渋いね。すごいかっこいいのに、情けなさ溢れた男親になっていて、いいです。なんだよもー、あの情けない表情!ってなる。結局、愛子の不幸はお父ちゃんが原因だしさー。
広瀬すずに関しては、あのレイプシーン。こっちが泣き叫びたくなるほどの恐怖を表現していて息をのんだ。
よくこの仕事受けたなって思ったのだけど、どうやらこの役がやりたくてオーディションにいったのだとか。にこにこ清純・青春なイメージだったから驚いたけれど、これから役の幅が広がりそう。
辰哉役の佐久本宝も存在感を放っていたし、田中との対峙では、ものすごい怒りを表していた。しかし君が飲み過ぎなければ、あの事件は起きなかったよと伝えたい。
とにかく、どの俳優さんも本当にすごくて、よかった。
考えさせられたんじゃなく、気づかされた
おそらく「人を信じることって難しい」といったような感想を持つ方が多いと思う。もちろん私もその一人。
けれど、なんで難しいのだろうって考えてみたときにふと気づいた。
日常の中では、「信じよう」「信じたい」なんて思わなくても、信じていることが山ほどある。
つまり、「いつの間にか信じていた」ことに驚いたという感じ。
なにか疑わしいことがあって「裏切られたかも!!」と感じ、そこで初めて、「自分はこの人を信じていたんだ」と気づく。
逆に言うと、「信じよう」と思っているときは心の中に疑いが出て来ているとき。無理して信用としているのだもんね。
それと、人を信じようとすることは自分自身を試しているような感じがする。
「この人を信じると決めた自分は正しいのか」「信じて裏切られてもいいのか」っていう自問自答がある気がする。
実体験で言うと、疑いつつも任せたり信頼したふりをして結果裏切られた時って、ものすごくその人を憎く感じる。
逆に、完全に信用してどうなったとしても受け止めると覚悟をすると、ダメだったり裏切られたりしても清々しく、「自分はこの人を信じてこうしたのだから仕方ない」って思える。あるいは「信じた自分がバカだった」って怒りが自分に向くのだよね。
要するに、信じた自分に対して責任を持てるかてことが、信じる信じないの境目なんじゃないだろうかと、感じました。
なんだかまとめようがなくなってしまったけれど、こんな人間の内面について延々と感じさせてくれる映画でした。
ものすごくヘビーなものだったけど、レンタル始まったりしたらまた一人でじっくり観たいな。