凛と柔く

芯をもってしなやかに、じぶん基準で生きる

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友人に抱いた劣等感を手放そう。けれどその理由を免罪符にはしない。

身近にいる友人に劣等感を抱いたことがある人は、きっと大勢いると思う。

自分の理想を、自分にはできないことを、やすやすとやってのける友人。

 

身近にいてよく知っているからこそ、心のどこかで羨ましいと思ったり、妬ましいと思ったり、自分と比較してしまったり。

その挙句、同じようにできない、同じようになれない自分自身に嫌気がさして、劣等感を持ってしまう。

 

わたしがそうでした。

 

20代のあの頃、そんな劣等感をこじらせていた。

 

 

相手は自分と正反対。パワフルな女の子。

わたしが劣等感を抱いてしまったのは、2つ年下の女の子だった。

当時、私はハタチの社会人。女の子(以降、Aちゃん)はまだ大学生だった。

 

大学生のうちからカナダへ長期留学、卒業後は海外青年協力隊としてアフリカへ。数年の任期を終えた後、南米の日系企業に就職した。

※追記:2017年現在、彼女は転職し、未だ海外暮らしを続けている。

 

すでにSNSが普及していたので、カナダ留学から南米での暮らしまで、Aちゃんがどこでどんな生活をして、どんな人と接してどんなことを考えているのか、知ることが出来た。

 

Aちゃんの奮闘ぶりや感じていること、元気な様子を知ることができるのは、とても楽しくうれしかった。時にはコメントを書き、たとえ海外にいても、距離を越えて交流は続いていた。

 

 

  

気付かぬうちに抱いた劣等感

Aちゃんの活躍を嬉しく思うその反面、一時帰国するAちゃんに会うのをためらう自分がいた。

 

無意識のうちに、劣等感を持ってしまったことに気付いた。

 

海外でいくつもの語学を身に着け、様々な国籍・人種の人と仲良くなり、あちこちの国へ旅をする。fecebookの友達は国籍問わず1,000人を超え、英語だけではない言語のコメントが次々と書き込まれる。

 

日々刺激に満ち、国境なんて感じさせない行動範囲の広さ。

全てが私にはあり得ないことで、眩しかった。

 

Aちゃんに比べて、私はどうだろう。

 

1つの国の1つの県に留まり、10年以上も小さな企業に居続けている。

小さな日本の中で、異性との惚れた腫れたで一喜一憂したり、趣味の小さな世界にどっぷり浸ったり。

 

そんな生活・人生が、とてもつまらなく成長のない、どうしようもないものに思えた。

 

自分だって同じだけの時間を過ごし、経験し、考え、成長しているはず。

それなのに、自分の成長なんて微々たるもので、Aちゃんの成長・人生の充実度とは雲泥の差があるように思った。

 

今思うと劣等感が過ぎるのだけれど、当時は本気でそう思っていた。

 

 

 

『外向型』と『内向型』|異なる性質に劣等感を抱く必要はない。

自分の中で、特に自己嫌悪の対象となっていた性質があった。

 

・外に出ていくことを好まない。

・出たとしても、すぐ疲れてしまう。

・友人を作るのがとても下手。

 

この嫌悪している自分の性質と対極しているのが、Aちゃんだった。

だからこそ余計に、劣等感を持ってしまったのだと、今ならわかる。

 

その劣等感から本当の意味で解放してくれたのが、この本だった。

 

 

 

少し前に行ったストレングスファインダーで、上位5資質に「内省」が含まれていたのもあり、「内向型」という言葉に惹かれた。

 

読んでみると、当てはまる項目が多くとても驚いた。

書かれていた「外向型と内向型のエネルギー源の違い」について理解できた時、納得してホッとした。

きっと、私は内向型だ。

  

私とAちゃんは、根本的な思考は似ていたけれど、それを達成したり具現化したりするための、アプローチが違う。

 

彼女は外に刺激を求め、私は内面に刺激を求めた。

持って生まれたあらゆる性質が違うだけだった。

 

Aちゃんの様に外の世界に出ていくことが出来ないからといって、劣等感を持つ必要など、これっぽっちもなかった。

そう納得できた。

まるで憑き物が落ちたかのように、心がすっと緩んだのを覚えている。

 

いい歳して何を言っているんだ、と思われるかもしれない。

けれど、自分でも薄々分かっていて根拠もなく思い込もうとしていたことが、肯定してもらえた。それだけのことで、とても救われた。

 

この事がきっかけで、自己嫌悪していた性質も、私の大切なアイデンティティなのだと、優しい目で見られるようになった。

 

 

 

『内向型』を免罪符に、歩みを止める理由にしてはいけない。

「人は人、自分は自分」「十人十色」など、人と比べることはないのだと、自分は自分であればいいのだと、説いてくれる言葉や本は世間に溢れている。

けれど、それを本当の意味で理解して自分に落とし込むことは、とてつもなく難しい。

 

私も口先ではそういった類の事を言ったことがあるし、思う事もあった。

 

でもそれはまるで、できない自分を擁護する言葉の様な気がしていた。実際、そういう「逃げ」の言葉として利用している人もいると思う。

 

長年抱えてきた劣等感を手放すことができた時、本当の意味で「人と比べない。自分は自分であればいい。」ということが実感できた気がした。

「逃げ」でもなく、「負け惜しみ」でもなく、真実を真実としてそのまま認めることができた。

 

けれど、『内向型』あることを免罪符にして、なりたい自分になろうと努力することをサボるのは、違う。

 

 

 

と、ここでいきなりなのだけれど、先日放映されたアニメ「3月のライオン」19話、島田八段のセリフが心に突き刺さったので、引用させて頂く。

 

自分がどれだけ努力しても、驕ることなく努力し続ける天才との差が全然縮まらない、と言った後のセリフ。

 

縮まらないからといって、それは俺が進まない理由にはならん。

抜けない事が明らかだからって、俺が努力しなくていいって事にはならない。

 

アニメだけど(しかも暗い)、このセリフは本当にドキっとした。

 

理想に届かないとわかっている事と、

自分が頑張らなくていい事は、

イコールではない。

 

私は長年の劣等感をやっと手放すことができたけれど、だからといって、あの子とは違うんだから今のままでいいのだと、逃げてはいけない。

 

同じようにはできないのはわかっている。

それなら、違う部分を伸ばさなくては。

 

劣等感は持たなくて良い。

自分の本来の性質を認めて、得手不得手を把握しておけばいい。

 

そしてそれができたら次は、自分の性質をプラスになる方向へ伸ばすことをしたい。向かないことであっても、少しでもそれができるようになる為、自分に合わせた攻略法を見つけたい。

 

そこから何かを得て、自分の成長の糧にしていけばいい。

 

 

 

 

 

余談

セリフを引用した「3月のライオン」ですが、漫画原作のNHKアニメです。

原作も面白いし、アニメもよいです。

原作者は「はちみつとクローバー」の羽海野チカさん。

 

我が家では夫婦ともに原作を読み、アニメも観ています。

観ていると気が滅入る回もあるほどまでに、人間の内面・本質に踏み込んでくる、鋭い話です。

 

3月のライオン コミック 1-12巻セット (ジェッツコミックス)

 

▼アニメ

3lion-anime.com